Ajabu ya kondoo kucheka kioo
羊の不思議、鏡を見て笑う
日本語に訳しにくい文章ですが、ヒツジが、鏡に映った自分の姿を見て、自分とは思わないものだから嘲って笑っている、そんな状況を指しています。
目糞(めくそ)が鼻糞(はなくそ)を笑う、とでも言うところでしょうか。
今、選挙戦真っ最中ですが、このような状態の例は一杯ありますね。
有権者から見ていると、本当に目糞が鼻糞を笑っているだけやないか!? といいたくなります。
methali とは諺という意味です。
時に応じて諺が出てくるようになりたいですね。
Ahadi ni deni
約束は借りごと
約束というのは、そもそも破られるためにあるとかいうけれど、東アフリカではどうだろう???
例えば、よく言われる「時間にルーズ」というのを考えてみると、約束を破るとか、いわゆるドタキャンとは違って、必ず来るんですよね。
ただ、時間がかなり経過してから来る。
こういうのって、約束を守ったというのか、破ったというのか。ヽ(~~~ )ノ ハテ?
昔、交通手段がなかった頃なら、逆に文句を言いやすいんじゃないかなと思いませんか?
だって、歩いてくるんだから、所要時間を考慮して家を出ろって言える。
でも今は、バスやマタトゥ、或いは車で来るから言い訳しやすい、されやすい。
交通渋滞に引っかかったといえば良いんですものね。
Aombaye magadi awe na kigae chake
塩を乞うものは壺のかけらを持っておけ
なにやら判じ物じみていますが、人に塩を貰いたいのなら、それを入れるための壺のかけらでも何でも持っているべきだ。
つまり、中身も器も人に貰うようではいけないと、自助努力を促していることわざ。
でも世の中、中身も器もどころか、貰いに行く足代まで相手に頼るような輩もいますよねぇ。
スワヒリ語の諺にこういうのがあるということは、自助努力が大事という考えがあるということなんでしょうが。。。
でも、そんな言葉は辞書にはないという人が多いようにも感じます。
例えば使用人からの前借りの申し出。
毎月決まった額が、多いにしろ少ないにしろ入ってくるんだから、計画的に使えば良いものを、月末になると借りに来る。
離れた場所の畑に置いていた20代の男性は、文字通り足代まで借りてうちまで来ていました。
畑には、ベッドルームが二つある小さな家があって、むろん家賃はナシ。
作った作物は自由にとって食べていいし、私が尋ねていくときにはお肉やお魚を差し入れするときもあるのです。
むろん水道代は我が家の負担。
そんな好条件でも前借りしに来るんです。
そして帰りがけに、前借りした賃金とは別に足代を貸してくれって。。。
でも、その足代は、戻ってくることはぜったいにない。
親に仕送りもしているのだろうと大目に見て貸していたら、ある日突然いなくなって、the END。
こういう人も、いつか所帯を持って子どもを育ててということになるのでしょうが、その時までにきちんと矯正できるのかしら??