Osha uso ndipo ua wenje Osha uso ndipo ua wenje 顔を洗って、そして外に出なさい 顔も洗わずに外出できないように、何事をするにも必要な準備がある。準備を整えてから物事を始めないといけない。 いやぁ、でも、ついついせっかちに突っ走ってしまって ua wenje とは utoke nje のことです。
Ndovu hashindwi na pembeze Ndovu hashindwi na pembeze ゾウは自分の牙に負けない 自分の子供のことで、音を上げてはいけない、ってことらしい、、、。 でも、最近は音を上げているというか、諦めきっている親御さんも多いようですね。親が関わることをやめると、本当に捨て育ちになってしまうから、心配です。
Mchele mmoja, mapishi mengi Mchele mmoja, mapishi mengi お米は一つ、調理法はたくさん 人それぞれに得意なものがある、という意味だそうです。 でも、他人様の得意なことを受け入れられない人って、いますよねぇ。なんでも自分が一番じゃなくっちゃ気が済まないというか。。。 このことはあの方のお得意分野。助けて頂こう。そう思ったら、人生楽なのにね。
Liandikwalo halifutiki Liandikwalo halifutiki 書かれたものは消せない どんなこともすべて神様が定めた(書いた)ものなので消すことはできない。 スワヒリ語にはこういう感じの諺、多いように感じます。環境が過酷だから、というよりは多分に宗教的なものだろうとは思います。 宗教を持つ人には「神様が決めたこと」というのは、ごく当たり前の感覚なのかも知れませんが、持たない人にとっては、諦めや放棄に思えてしまいますよね。 連れ合いなどもよく使います。でも、私はイライラして喧嘩に
Jirani ni ndugu Jirani ni ndugu 隣人は兄弟 遠くの親戚より近くの他人。仲良くしておけよということらしい。 私の人生経験では、近くの親戚より遠くの友達の方が心優しく、親身になってくれた。これは喜ぶべき事か、悲しむべき事か。。。
Hapana siri ya watu wawili Hapana siri ya watu wawili 二人の秘密はない 人に話したことは、絶対に秘密にはなり得ないと言うこと。これは永遠の真理。 なかには「絶対に人には言わないでって言われたことなんだけれど」と言いながら、その大事な”秘密”を伝えてくる人もいますよね。 きっと本人は「あなたを信用している/あなたは親友だから、こんな大事なことを話すのよ」というアピールかも知れませんが、こんなの逆効果ですよね。 だって、「この人、私が話したことも、他所へ言って同じように触れ回るんだろうな」って、思ってしまいますもの。
Fuata nyuki, ule asali Fuata nyuki, ule asali 蜂の後を追って蜜を食え 虎穴に入らずんば虎子を得ず、ということです。 ことわざって、どこの国のも似ていますね。
Dawa si chungu, chungu ni maradhi Dawa si chungu, chungu ni maradhi 薬は苦くない、苦いのは・辛いのは病気だ 困難、苦難の本質というか、基になっているものを見抜かないと解決策はない。 でも、良いことも悪いことも、なかなか本質に目が行かなくって、上辺の目につくところだけで判断しがちなんですよね。 政治家もそう。パフォーマーというか、口先だけいいこと並べている人や、目立つ項目で花火を打ち上げているような人の本質、政治家としての資質を見抜かないと、あとで泣くのは有権者なんだから。 と、今目立っているパフォーマー型某知事が嫌いな私は思うのです
Barua ni nusu ya kuonana Barua ni nusu ya kuonana 手紙は会うことの半分 遠く離れて会えなくても、せめて手紙を書きあえば、会うことの半分ぐらいの値打ちはあるよという意味。 waraka ni nusu ya kuonana と同じ。 でも、やっぱり逢いたいですよね、好きな人とは。
Ya kale hayapo Ya kale hayapo 昔のことは無い 昔のことを取りざたしても仕方ない。もうすでに過ぎてしまったことだから。 (´ヘ`;) う~ん・・・ 確かに、水に流すことも必要だけれど、許せないこともあるし、許してもらう方の立場の人間が「水に流せ!」と言ってくることもある。 そういう場合は、忘れてやらない!