Kulenga si kufuma

Kulenga si kufuma

Kulenga si kufuma

的をねらうことは突き刺すことではない

標的にねらいを定める、何かを目指すことと、その行為そのもの、突き刺すなどして獲物を得るということとは別物である。

狙ったからといって必ず獲物を得られるものではない。
一生懸命やってもしくじること、獲得できないこともある。

でも、そういって慰められてもねぇ。。。

 

2013年7月29日 | カテゴリー : K 始まり | 投稿者 : nyamburra

Mchagua jembe si mkulima

Mchagua jembe

Mchagua jembe si mkulima

鍬を選ぶ人は農夫ではない

弘法筆を選ばず、という意味ですね。

うちの畑で働いていた子達は、けっこう文句を言っていましたねぇ。
鍬が切れないだとか、鉈が鈍らだとか。
帰りの車の中で、そういうあの子たちのほうが鈍らなんだよと、いつも夫と言っていました。

畑に置いていたのは20歳を過ぎた男の子達だったのですが、私たちは週末に行くだけで、それも行かない週もあるので、かなり怠惰な仕事ぶりでした。

賃金はちゃんと支払っているのに、まともに仕事せず、畑で作ったものは、私たちが週末に行く前に近くの市場で売ってしまうという有様。

まぁ、家庭菜園を大きくした程度の畑なので、売ってもたいした稼ぎにはならなかったでしょうが。

 

2013年7月23日 | カテゴリー : M 始まり | 投稿者 : nyamburra

Ajabu ya kondoo …

ajabu ya kondoo

Ajabu ya kondoo kucheka kioo

羊の不思議、鏡を見て笑う

日本語に訳しにくい文章ですが、ヒツジが、鏡に映った自分の姿を見て、自分とは思わないものだから嘲って笑っている、そんな状況を指しています。

目糞(めくそ)が鼻糞(はなくそ)を笑う、とでも言うところでしょうか。

今、選挙戦真っ最中ですが、このような状態の例は一杯ありますね。ani-wink01

有権者から見ていると、本当に目糞が鼻糞を笑っているだけやないか!? といいたくなります。

 

2013年7月19日 | カテゴリー : A 始まり | 投稿者 : nyamburra

Mpanda farasi wawili …

mpanda farasi wawili

Mpanda farasi wawili hupasuka msamba

2頭の馬に乗る者は股を引き裂かれる

想像すると酷い絵ですよねぇ。

昔『ジンギスカン』という映画で、テムジンの父親が馬で四肢裂きの刑に処せられるというシーンがあったのすが、それを思い出してしまいます。

日本語のことわざの方は残虐性がなく、二兎を追う者は一兎をも得ず、ということですね。

私は性格的に四兎ぐらい追っかける方なので、しくじることが多いです。kao-komatta

 

2013年7月15日 | カテゴリー : M 始まり | 投稿者 : nyamburra