Ajali haina kinga
不運は防げない
身に降りかかってくる不運・悪い巡り合わせは、宿命・宿運であって防ぎようがない。
運命論、宿命論というのは、環境が過酷な場合に出てくるとは限らないですよね。
でも、こんな風に諦めるのは、一つの大きな知恵かもしれませんね。
ケニャでもタンザニアでも、人々は不幸や不運に巡り合わせても、切り替えが早いというか、嘆きの期間が短いように感じます。
落ち込んでいてもしかたがない!と方向転換する生き方は、潔いかもしれません
methali とは諺という意味です。
時に応じて諺が出てくるようになりたいですね。
Mwanzo wa chanzo ni chane mbili
ゴザを編む始まりは二筋の編み紐
大きなゴザも、編み始めは必ず二本の編み紐から始まる。
千里の道も一歩から。
大きな仕事も小さな仕事も、始まりも過程も同じように重要なんだけれど、とかく大きな仕事の、それも結果ばかりに目が行きがち。
初めの一歩、そして継続していくことで大きな成果になるんですね。
そういえば昨日TVで、タイの竹編み細工のカゴが紹介されていたけれど、とても素敵でした。
細く薄く割いた竹なので、バスケットとは言っても繊細なものでした。
タイの皇太子妃がパーティー用のものを持っていらっしゃる写真も紹介されましたが、自国の特産品を持つ王族というのは良いですね。
皇族、王族というのはその国の広告塔であるべきですものね。
Elimu maisha si vitabu
学問は人生であって本ではない
学問というのは、本の中だけでなく、毎日の生活の中から、より多くのことを学ぶ事が出きるのだ。
でも、いますよ、頭でっかちなやつ。
そういうのに限って謝り方を知らないの。
「恐縮です」って言って、謝ったつもりや礼をつくした気でいるんですよね。
もし自分の子が目上や年上に対してこういう言葉遣いをしたら、ぶん殴るんだけれど。(^^ゞ
たいてい、学校の成績は良いんですよね、そういう人。
天才、秀才とは言われないまでも、お勉強が出来る子と目されているんでしょうが。。。
世間に打たれて学んでくれたら良いんだけれど、そういうのに限って打たれていることの意味が解らなくって「恐縮です!」って。(^o^)ハハハ
或いは、誤りを指摘されているのに「出過ぎた真似をしました」なんてトンチンカンなことを言う。
昔は先輩が叱りながら教えてくれたけようなこと、今やったら総スカンを食うだろうから、やってくれないんでしょうねぇ。
もったいないことです。