Wapiganapo tembo…

Wapiganapo tembo

Wapiganapo tembo wawili ziumiazo ni nyasi.

二頭のゾウが争えば、傷つくのは草。

ゾウが争えば、踏みつけられ痛められるのは草です。

二人の人が、二人の権力者が争えば、傷つけられるのはその人達の下にいる人々です。

これが民族間、国家間の争いとなれば、大勢の人達が犠牲になります。

私は自分が生まれる前の歌が好きなのですが、戦争中の歌を聴いていると、軍歌とされるものの中にも、兵士として召される一般の男子、その妻や子の嘆きや悲しみが聞き取れます。

争いはなんの利ももたらさないとは、みんな分かっているはずなのに、何故戦が終わることがないのでしょうね。

このことわざと同じような意味を持つことわざは、たぶんどこの国にもあるのでしょうに。

 

 

 

2014年6月24日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : nyamburra

Mwenye shoka hakosi kuni

Mwenye shoka

Mwenye shoka hakosi kuni

斧を持った人は薪に事欠かない

斧を持っている人は何時でも望むときに斧で薪を切り出すことがでる。

何かをしたいとき、それをする力/能力を持っている人は、それを成し遂げることができる。

確かにそうなんだけれど、悲しからずや凡人。。。
ささやかな力や能力を使いこなせず、また使おうと努力することもなく、ただ手に入れられない不運を嘆くのみ。

あれ? これって私のことか

 

2014年6月20日 | カテゴリー : M 始まり | 投稿者 : nyamburra

Mchuma juani hulia uvulini (kivulini)

Mchuma juani

Mchuma juani hulia uvulini(kivulini)

炎天下に収穫する人は日陰で食べる

厳しい条件下で仕事をしてこそ、あとの喜び、利益がついてくる。
何事も努力をしてこそ花も咲けば実もなる。

厳しさを耐えるように教えることわざが多いですが、結局耐えるしか方法がないからそう教えるのであって、もし逃れる術があれば、それを教えますよね。

絶望と違って諦めは、事柄は変わりなく続いていくんですよね。
ただ、その先に少しの灯りを見せると、あきらめながらも「もしかして」というかすかな希望が湧いてくる。
それが絶望との大きな差。

炎天下で、畑仕事をしようにも、あまりにも乾ききった大地で耕すことすらできなかったら絶望に限りなく近づき、このことわざも役に立たなくなる。
例えば、ケニャのイシオロ近くの大地を見ていると、ふとそんな思いが。。。

 

2014年6月9日 | カテゴリー : M 始まり | 投稿者 : nyamburra