Meno ya mbwa hayaumani

 meno_ya_mbwa

Meno ya mbwa hayaumani

犬の歯は傷つけあわない

恐ろしげに並んだ犬の歯も、互いを傷つけあうことはない、という意味です。

でも人間同士は、愚かにも戦い傷つけあう…
これは永久に続くのでしょうか。
悲しいことですねぇ。

特に最近、世界各地で宗教対立、民族対立が激しくなり、
加えて領地問題や地下資源がらみでいざこざが至る所にあって、
本当に人間って情けないなと思います。

 

2013年10月7日 | カテゴリー : M 始まり | 投稿者 : nyamburra

Macho hayana pazia

Macho hayana pazia

Macho hayana pazia

目にはカーテン(目隠し、被い)はない

“壁に耳あり、障子に目あり” のことかなと一瞬思ってしまうのですが、微妙に違うようで、
「見てしまった私が悪いのではない、見せた/見られたあなたが悪いのだ」
というような意味だそうです。

それって、開き直り?

こういう開き直り精神(?)、よく出くわしますねぇ。
「すみません」や「ごめんなさい」を言ったらお終いと思っているみたいなところがあります。

素直に謝ることを躾けられた古い世代の人間としては、こういうのが一番  ani-ikari03 と来ます。

 

2013年10月2日 | カテゴリー : M 始まり | 投稿者 : nyamburra

Mwana wa nyoka ni nyoka

Mwana wa nyoka

Mwana wa nyoka ni nyoka

ヘビの子はヘビ

蛙の子は蛙。書くのも恥ずかしいぐらいそのまんま。

良いにつけ悪いにつけ、人は育てられたようにしか育たないんですよね。

最近うちの団地で、夜中に駐車場やロビーから話し声が聞こえます。
高校生ぐらいの男女の声なんですが、この子達の親もきっとこんなだったんだろうなと思ってしまいます。

一昔前までは、こんなときには注意していたのですが、最近は怖くってできません。

困った世の中ですが、親も地域の人も注意しなかったら、捨て育ちになってしまいます。
ヘビの子もカエルの子も、ヘビ以下、カエル以下になってしまうんですよねぇ。

 

2013年8月2日 | カテゴリー : M 始まり | 投稿者 : nyamburra

Kulenga si kufuma

Kulenga si kufuma

Kulenga si kufuma

的をねらうことは突き刺すことではない

標的にねらいを定める、何かを目指すことと、その行為そのもの、突き刺すなどして獲物を得るということとは別物である。

狙ったからといって必ず獲物を得られるものではない。
一生懸命やってもしくじること、獲得できないこともある。

でも、そういって慰められてもねぇ。。。

 

2013年7月29日 | カテゴリー : K 始まり | 投稿者 : nyamburra

Mchagua jembe si mkulima

Mchagua jembe

Mchagua jembe si mkulima

鍬を選ぶ人は農夫ではない

弘法筆を選ばず、という意味ですね。

うちの畑で働いていた子達は、けっこう文句を言っていましたねぇ。
鍬が切れないだとか、鉈が鈍らだとか。
帰りの車の中で、そういうあの子たちのほうが鈍らなんだよと、いつも夫と言っていました。

畑に置いていたのは20歳を過ぎた男の子達だったのですが、私たちは週末に行くだけで、それも行かない週もあるので、かなり怠惰な仕事ぶりでした。

賃金はちゃんと支払っているのに、まともに仕事せず、畑で作ったものは、私たちが週末に行く前に近くの市場で売ってしまうという有様。

まぁ、家庭菜園を大きくした程度の畑なので、売ってもたいした稼ぎにはならなかったでしょうが。

 

2013年7月23日 | カテゴリー : M 始まり | 投稿者 : nyamburra

Ajabu ya kondoo …

ajabu ya kondoo

Ajabu ya kondoo kucheka kioo

羊の不思議、鏡を見て笑う

日本語に訳しにくい文章ですが、ヒツジが、鏡に映った自分の姿を見て、自分とは思わないものだから嘲って笑っている、そんな状況を指しています。

目糞(めくそ)が鼻糞(はなくそ)を笑う、とでも言うところでしょうか。

今、選挙戦真っ最中ですが、このような状態の例は一杯ありますね。ani-wink01

有権者から見ていると、本当に目糞が鼻糞を笑っているだけやないか!? といいたくなります。

 

2013年7月19日 | カテゴリー : A 始まり | 投稿者 : nyamburra

Mpanda farasi wawili …

mpanda farasi wawili

Mpanda farasi wawili hupasuka msamba

2頭の馬に乗る者は股を引き裂かれる

想像すると酷い絵ですよねぇ。

昔『ジンギスカン』という映画で、テムジンの父親が馬で四肢裂きの刑に処せられるというシーンがあったのすが、それを思い出してしまいます。

日本語のことわざの方は残虐性がなく、二兎を追う者は一兎をも得ず、ということですね。

私は性格的に四兎ぐらい追っかける方なので、しくじることが多いです。kao-komatta

 

2013年7月15日 | カテゴリー : M 始まり | 投稿者 : nyamburra

Heshima kitu cha bure

Heshima kitu cha bure

Heshima kitu cha bure

人を敬う気持ちはただ(無料)

ちょっと解説が必要な意味なのですが、人を敬う気持ちというものは、売っているものでも買ってこれるものでもない。 心からのものだという意味です。

一昔、二昔前までの日本人荷は、この感覚はよく分かりますね。

でも最近、彼我共に人を敬ったり、相手を思いやる心が薄れているような気がします。

スワヒリ語でも、大切なはずだった「挨拶」が、スラングに取って代わられて、それに合わせて会話の中からheshimaのある言葉が減ってきて。。。

でも、こんな風に嘆くのは、私が年を取ったせい???

 

2013年6月2日 | カテゴリー : H 始まり | 投稿者 : nyamburra

Ahadi ni deni

Ahadi ni deni

Ahadi ni deni

約束は借りごと

みんながこういう思いで選挙に出てくれれば良いんだけれどね。ani-wink01

約束というのは、そもそも破られるためにあるとかいうけれど、東アフリカではどうだろう???

例えば、よく言われる「時間にルーズ」というのを考えてみると、約束を破るとか、いわゆるドタキャンとは違って、必ず来るんですよね。
ただ、時間がかなり経過してから来る。

こういうのって、約束を守ったというのか、破ったというのか。ヽ(~~~ )ノ ハテ?

昔、交通手段がなかった頃なら、逆に文句を言いやすいんじゃないかなと思いませんか?
だって、歩いてくるんだから、所要時間を考慮して家を出ろって言える。

でも今は、バスやマタトゥ、或いは車で来るから言い訳しやすい、されやすい。
交通渋滞に引っかかったといえば良いんですものね。

いろいろ考えると、来ないよりも来る方が百倍ましか。ani_wink02

 

2013年5月29日 | カテゴリー : A 始まり | 投稿者 : nyamburra

Mali ni ngaz …

Mali ni ngaz

Mali ni ngazi, utakapo hupanda

財産はハシゴのようなもの、望めば上れる

望みを持って事に当たれば叶う。

そう、確かに希望を持って努力すれば叶うというか、手に入れられる。

ただね、止まれば落ちるというか、欲を出しすぎると落ちるというか、元の木阿弥になることも。

 

2013年5月25日 | カテゴリー : M 始まり | 投稿者 : nyamburra