Nyuma ni kweupe mbele ni kweusi
後方は明るい、前方は暗い
通ってきたところは知り抜いて明るい、しかしこれから行く未知なる部分は暗い。
でも、その暗いところ通って行かなきゃならないんですよね、人生は。
でも、でも、そうは分かっていても臆病にもなる、弱気にもなる。それが人間です。はい。
methali とは諺という意味です。
時に応じて諺が出てくるようになりたいですね。
Fadhila ni utumwa
施しは隷属(につながる)
施してもらうこと、恩恵をこうむることが続くと、いつしかそれに慣れ、自助努力もなくなり、結果的にその与えてくれる人に隷属してしまうことになる。
震災被災者の救済に対してこういうことを言う人もいるが、それは詭弁だ。
このことわざは正しいが、これを震災に限らず天変地異などで被害を被った人の救済、援助に対して使うのは詭弁だ。当て嵌まらない!
Zana za vita ni silaha
戦いの道具は武器
武器無しでは戦うことはできない。
何事をするにも、道具がいる、備えがいる。準備も無しでは何事も成就しない、という意味。
私、実は道具から入る方で、 というか、解説書を集める方です。
解説書、手引き書を集めて、それで満足していたりして。![]()
習いに行くということが余り好きではなく、たいていのことが「独習」です。
習いに行った事で、ある程度の期間続いたのは、子どもの頃の算盤。これは大好きでした。
大人になってからはレザークラフト(数年)とスワヒリ語(1年半)。
スワヒリ語は先生から「神戸から京都まで通うのは大変だから」と仰って頂いて、またカルチャー・センター的な内容だったので、一応 “卒業” して、その後は先生に尋ねたいことがあれば電話でSOSを出すという形で続けました。
子どもの頃から好きだった編み物の方が期間は長いですが、一番の趣味を尋ねられると、スワヒリ語と答えるかパソコンと言おうか、迷うところです。