Maji ya moto hayachomi nyumba

maji ya moto ...

Maji ya moto hayachomi nyumba

お湯では家を燃やせない

どんなに熱いお湯でも、家を燃やす力はない。

お湯は「熱いぞ!」と家を脅しても、どんなに熱くとも家を焼き尽くすことはできない。

つまり、大声を出したり脅したりしても、そんなことで相手に勝てるわけではない。
実力、能力のある方が勝つ。

でも、いますよねぇ、大声を出して相手を怯ませて勝とうとする人。

そういう人って、相手が怯んでいるのはその大音量のせいであって、決してその人の意見や、
ましてや能力に引け目を感じているわけではないということが気がつかない。

だから、自慢そうに「怒鳴りつけてやった!」とか言うんでしょうね。

 

2014年3月21日 | カテゴリー : M 始まり | 投稿者 : nyamburra

Kusikia si kuona

kusikia si kuona

Kusikia si kuona

聞くことは見ることではない

何事も、自分の目で見なければ。

聞いて信じ込むのではなく、自分の目で確認して判断すると言うこと。
それはとても大事ですよねぇ。

でも最近、言われたことを信じ込みました。それも100%!

ある人が私の悪口を言っているという情報。
で、それを私は疑いもなく信じました。

問題の人物が、私に情報をもたらした人やその他の人達のまったく同じ悪口を
言ってたんですよ、σ(^_^)アタシに。それも何回も

私のことも絶対に言っているだろうと思っていただけに、感想は「やっぱり

聞いて信じられることも世の中にはある 。ani-waaai01

 

2014年3月10日 | カテゴリー : K 始まり | 投稿者 : nyamburra

Msafiri ni aliye pwani

msafiri ni aliye pwani

Msafiri ni aliye pwani

旅人とは海岸にいる人

確実に旅に出る人は、彼が利用する乗り物の乗り場にいる人。

つまり、何事も早くに準備しておけということだそうです。

先日TVで面白い平均値を出していました。

出かける何分前に置きますか?
つまり、何分前にani_mezamashi目覚ましをセットしていますか、というもの。

男女を問わずの平均は90分ぐらいだったように記憶しています。
私はだいたい三時間前に起きるので、ちょっと驚きました。

 

2014年3月4日 | カテゴリー : M 始まり | 投稿者 : nyamburra

Kumpa mwenzio si kutupa

kumpa_mwenzio

Kumpa mwenzio si kutupa

友達にあげるのは捨てることではない

友達を助けておけば、自分が困ったときには助けてくれる。

情けは人のためならず、ということです。

でも、時々いるんですよね、助けて貰う一方の人。
助けることは、しないのか出来ないのか。。。

かく言う私はというと、助けて貰うことの方が多いかなぁ。
若い頃から、一人っ子か末っ子と思われることが多かったぐらいで
「しっかり者の長女」には絶対見えなかったせいか、
友だちや先輩方の中でもけっこう甘やかされていました。

しっかり他人を支えないといけない中年期はそんな風に甘やかされたまま過ごし、
今は老齢に入ってまた甘やかされる年代に kao-tehe

いやいや、助ける方に廻らないとね。p(*^-^*)q がんばっ♪

 

2014年3月1日 | カテゴリー : K 始まり | 投稿者 : nyamburra

Meno ya mbwa hayaumani

 meno_ya_mbwa

Meno ya mbwa hayaumani

犬の歯は傷つけあわない

恐ろしげに並んだ犬の歯も、互いを傷つけあうことはない、という意味です。

でも人間同士は、愚かにも戦い傷つけあう…
これは永久に続くのでしょうか。
悲しいことですねぇ。

特に最近、世界各地で宗教対立、民族対立が激しくなり、
加えて領地問題や地下資源がらみでいざこざが至る所にあって、
本当に人間って情けないなと思います。

 

2013年10月7日 | カテゴリー : M 始まり | 投稿者 : nyamburra

Macho hayana pazia

Macho hayana pazia

Macho hayana pazia

目にはカーテン(目隠し、被い)はない

“壁に耳あり、障子に目あり” のことかなと一瞬思ってしまうのですが、微妙に違うようで、
「見てしまった私が悪いのではない、見せた/見られたあなたが悪いのだ」
というような意味だそうです。

それって、開き直り?

こういう開き直り精神(?)、よく出くわしますねぇ。
「すみません」や「ごめんなさい」を言ったらお終いと思っているみたいなところがあります。

素直に謝ることを躾けられた古い世代の人間としては、こういうのが一番  ani-ikari03 と来ます。

 

2013年10月2日 | カテゴリー : M 始まり | 投稿者 : nyamburra

Mwana wa nyoka ni nyoka

Mwana wa nyoka

Mwana wa nyoka ni nyoka

ヘビの子はヘビ

蛙の子は蛙。書くのも恥ずかしいぐらいそのまんま。

良いにつけ悪いにつけ、人は育てられたようにしか育たないんですよね。

最近うちの団地で、夜中に駐車場やロビーから話し声が聞こえます。
高校生ぐらいの男女の声なんですが、この子達の親もきっとこんなだったんだろうなと思ってしまいます。

一昔前までは、こんなときには注意していたのですが、最近は怖くってできません。

困った世の中ですが、親も地域の人も注意しなかったら、捨て育ちになってしまいます。
ヘビの子もカエルの子も、ヘビ以下、カエル以下になってしまうんですよねぇ。

 

2013年8月2日 | カテゴリー : M 始まり | 投稿者 : nyamburra

Kulenga si kufuma

Kulenga si kufuma

Kulenga si kufuma

的をねらうことは突き刺すことではない

標的にねらいを定める、何かを目指すことと、その行為そのもの、突き刺すなどして獲物を得るということとは別物である。

狙ったからといって必ず獲物を得られるものではない。
一生懸命やってもしくじること、獲得できないこともある。

でも、そういって慰められてもねぇ。。。

 

2013年7月29日 | カテゴリー : K 始まり | 投稿者 : nyamburra

Mchagua jembe si mkulima

Mchagua jembe

Mchagua jembe si mkulima

鍬を選ぶ人は農夫ではない

弘法筆を選ばず、という意味ですね。

うちの畑で働いていた子達は、けっこう文句を言っていましたねぇ。
鍬が切れないだとか、鉈が鈍らだとか。
帰りの車の中で、そういうあの子たちのほうが鈍らなんだよと、いつも夫と言っていました。

畑に置いていたのは20歳を過ぎた男の子達だったのですが、私たちは週末に行くだけで、それも行かない週もあるので、かなり怠惰な仕事ぶりでした。

賃金はちゃんと支払っているのに、まともに仕事せず、畑で作ったものは、私たちが週末に行く前に近くの市場で売ってしまうという有様。

まぁ、家庭菜園を大きくした程度の畑なので、売ってもたいした稼ぎにはならなかったでしょうが。

 

2013年7月23日 | カテゴリー : M 始まり | 投稿者 : nyamburra

Ajabu ya kondoo …

ajabu ya kondoo

Ajabu ya kondoo kucheka kioo

羊の不思議、鏡を見て笑う

日本語に訳しにくい文章ですが、ヒツジが、鏡に映った自分の姿を見て、自分とは思わないものだから嘲って笑っている、そんな状況を指しています。

目糞(めくそ)が鼻糞(はなくそ)を笑う、とでも言うところでしょうか。

今、選挙戦真っ最中ですが、このような状態の例は一杯ありますね。ani-wink01

有権者から見ていると、本当に目糞が鼻糞を笑っているだけやないか!? といいたくなります。

 

2013年7月19日 | カテゴリー : A 始まり | 投稿者 : nyamburra