Meno ya mbwa hayaumani
犬の歯は傷つけあわない
恐ろしげに並んだ犬の歯も、互いを傷つけあうことはない、という意味です。
でも人間同士は、愚かにも戦い傷つけあう…
これは永久に続くのでしょうか。
悲しいことですねぇ。
特に最近、世界各地で宗教対立、民族対立が激しくなり、
加えて領地問題や地下資源がらみでいざこざが至る所にあって、
本当に人間って情けないなと思います。
methali とは諺という意味です。
時に応じて諺が出てくるようになりたいですね。
Mchagua jembe si mkulima
鍬を選ぶ人は農夫ではない
弘法筆を選ばず、という意味ですね。
うちの畑で働いていた子達は、けっこう文句を言っていましたねぇ。
鍬が切れないだとか、鉈が鈍らだとか。
帰りの車の中で、そういうあの子たちのほうが鈍らなんだよと、いつも夫と言っていました。
畑に置いていたのは20歳を過ぎた男の子達だったのですが、私たちは週末に行くだけで、それも行かない週もあるので、かなり怠惰な仕事ぶりでした。
賃金はちゃんと支払っているのに、まともに仕事せず、畑で作ったものは、私たちが週末に行く前に近くの市場で売ってしまうという有様。
まぁ、家庭菜園を大きくした程度の畑なので、売ってもたいした稼ぎにはならなかったでしょうが。
Mgeni siku mbili, ya tatu mpe jembe
客扱いは二日間、三日目には鍬を与えよ
新しい環境に入っても、いつまでも「お客さん」でいてはいけない、いさせてはいけない。
慣れること、つまり「すること」の大事さを説いているとか。
この感覚は、親戚の子どもを預かったりしたときや、田舎からのお客を泊めたときなどに強く感じます。
みんな、最初の日からでも、何かできそうなことを手伝おうとしてくれます。
時にはこちらが戸惑うほど。
だから、腰が軽くよく動く人が喜ばれると言うより、それが普通で、お尻が重い人は徹底しして嫌がられる感じです。
私はよく気がつく方ではないのですが、でも「外国人だから」という理由でかなり大目に見てもらっていました。
Mwanzo wa chanzo ni chane mbili
ゴザを編む始まりは二筋の編み紐
大きなゴザも、編み始めは必ず二本の編み紐から始まる。
千里の道も一歩から。
大きな仕事も小さな仕事も、始まりも過程も同じように重要なんだけれど、とかく大きな仕事の、それも結果ばかりに目が行きがち。
初めの一歩、そして継続していくことで大きな成果になるんですね。
そういえば昨日TVで、タイの竹編み細工のカゴが紹介されていたけれど、とても素敵でした。
細く薄く割いた竹なので、バスケットとは言っても繊細なものでした。
タイの皇太子妃がパーティー用のものを持っていらっしゃる写真も紹介されましたが、自国の特産品を持つ王族というのは良いですね。
皇族、王族というのはその国の広告塔であるべきですものね。