Vijiti vingi pamoja vigumu kuvunjika
小さな棒切れや小枝も、たくさんなら折れにくい
か弱いものでもたくさん集まると強くなる。 三矢の教えと同じ発想の諺です。
小さい政党も、たくさん集まれば大政党? それとも、大混乱???
methali とは諺という意味です。
時に応じて諺が出てくるようになりたいですね。
Maneno makali hayavunji mfupa
きつい言葉は骨を砕かない
悪口雑言を浴びせられたところで、骨を砕かれるわけではないから、無視してろ、、、という意味だそうです。
昨日のはきつい言葉を口に出す人を戒めていて、今日のは言われた側の心を静めようと。
アフリカの知恵ですね。
Maneno makali yavunja mfupa
きつい言葉は骨をも砕く
きつい言葉は骨を砕くに等しく相手を打ちのめすのだから言ってはならぬ、という教えです。
東アフリカの人たちって、確かに口数が多く、口げんかもするけれど、徹底的罵り合いっていうのは、余り聞いたことがないです。
そのせいか、数日後には仲良くおしゃべりしているってことがよくありました。
でも、こちらはそれで振り回されたりもするんですよね。
大げんかしたって人伝に聞いて、次のパーティー、片方だけに声をかけるわけにはいかないし、両方招いて気まずい空気が流れても他の人に迷惑だし、なんて悩みながら両方を招待すると、当日、一緒にやってきたりしてね。
実はこの諺、正反対のものがあります。
明日はそれにしますね。
Gonga gogo usikie mlio
丸太を叩いて音を聞け
何かを始めるとき、準備も調査も無しで始めるのではなく、下調べをし、情報を持って事に臨むようにという立派な教えです。
でも、なかなか難しいですよねぇ。日本の人にも東アフリカのの人にも
予定を組む、備える、こういうことは辞書に載ってないんじゃないのかなと、よく感じました。
そして、一旦開始してしまうと、変更がきかないというのも。。。
例えば、一つのことがらが遅れてきて、押せ押せになってきたときに、次のどれかをスキップして、重要なものに遅れが出ないようにする。
こういうことが出来ないのか、したくないのか、してくれませんでした。
たぶん、事前チェックみたいなことが出来て無くって、だから判断、決断が出来ないのではないかと
大きなパーティーの準備の時など、例えば頼んでいたパイプ椅子の到着が遅れたら、他のこと、テーブルを並べるとか、お皿を運ぶとか、探せば仕事はいくらもあるはずなのに、じっと待っているんですよ
それとも、もしかして、単にサボっているだけ
Elimu ni taa, gizani huzagaa
学問とは灯り、闇の中で輝く
そう、学問は闇を照らすものでなくてはいけない。
間違っても、細菌兵器やコンピュータ・ウィルスを作っちゃいけない。
昔、うちのお手伝いさんで一人、とても頭のいい子がいた。
でも小学校しか出ていなくって、それでも読み書きはしっかり出来て、うちの娘たちと一緒に本を読んだりもしていた。
その子の姉が、ハイスクールを出て大きな会社に勤めているというので「なんであなたは上の学校へ行かなかったの?」と尋ねたら、自分が進学する時期には親が貧乏をしていたので、という答だった。
彼女の夢は、タイピストになりたいというものだった。
お手伝いをしてお金を貯めて、養成学校へ行きたいと言っていた。
でも、うちで彼女の兄と弟も雇っていたんだけれど、その子たちが盗みをしたので辞めさせたら、結局彼女も一緒にいなくなってしまった。
あのまま続けていたら、夢が叶ったかも知れないのに。。。
タイピストという言葉に、時代を感じますね。
Chema hakidumu
良いことは長く続かない
ことわざの本によると、この日本語から受けることとはチト違うニュアンスが・・・。
日本語だと、どちらかといえば「おごる平家は久しからず」式の、戒めに近い形で使いませんか?
“良いこと” というのが、絶対的に良いことではなく、その人だけが特典的に “良い目” を見てるような状況が、長続きしないという感じで。
そういう意味を書いている諺の辞書もあるのですが、なかには、(絶対的な)良いことというものは長く続いてはくれないものだ、と書いているものもあります。
別な本では「よい人は長生きしない」って書いてあります。
それではいいことをしようと思う人がいなくなるじゃないですか