Kupotea njia …

Kupotea njia

Kupotea njia ndiyo kujua njia

道に迷うことは道を知ること

失敗を重ねて、人は知恵や知識を得ていく。とはいえ凡人は、失敗の上に失敗を重ね、なお道を知らず。

この果てしなさこそ人生です、ハイ。

結局は学習能力であり、謙虚さなんでしょうね、必要なのは。
それがなくては学び取ることができない。

 

2013年5月21日 | カテゴリー : K 始まり | 投稿者 : nyamburra

Heri kenda …

Heri kenda

Heri kenda shika kuliko kumi nenda urudi

今もらう九つのほうが、行って帰ってきてからもらう十よりいい

これは、手元の幸福に満足しない、欲深い望みを持つ人に対していわれるそうです。

欲深いというのは、どの世界でも罪なことなんですね。
でも、人は欲深いもの、と言うのも事実で。。。

でなければ、こんなことわざがあるはずがない。

 

2013年5月17日 | カテゴリー : H 始まり | 投稿者 : nyamburra

Adui wa mtu …

Adui wa mtu

Adui wa mtu ni mtu

人の敵は人

世の中、身に降りかかる嫌なこと、辛いことは、すべて周りの人から降りかかる。
言い得て妙ですなぁ、、、。

私たちは今、まわりに敵がいない状況で生活していますが、狩猟採集民や放牧民など、 日常の暮らしの中で外敵(主に動物)に取り囲まれて生活している人達がいますね。

そういう人達の方が、こういうことわざに納得できるでしょうね。

 

2013年5月13日 | カテゴリー : A 始まり | 投稿者 : nyamburra

Milima haikutani …

Milima haikutani

Milima haikutani lakini binadamu hukutana

山と山は出会わないが人と人は出会う

私の一番好きなスワヒリ語のことわざです。
意味はこれ以上言うこと無し。

4月からシニアカレッジに通い出して、新しい出会いに期待しています。

先輩方のパワフルさに圧倒されつつ、私もああいう高齢者になりたいなと願っています。

何よりも、勉強しようという姿勢を見習いたいですね。

 

2013年5月9日 | カテゴリー : M 始まり | 投稿者 : nyamburra

Kweli ikidhihiri …

Kweli ikidhihiri

Kweli ikidhihiri, uwongo kujitenga

真実が明らかになる時、嘘は身を引く

そうであってくれればいいのですが、近頃は「ウソ」の方が力が強いというか、「真実」を駆逐していることって多い気がするのですが、、、。

こういう意味合いのことわざは、だいたいどこの国にもあるということですが、ということは逆に、嘘がまかり通っているってことですよね。

嘘も百回(千回だったかな?)言ったら真実になるってお国柄もあるとかいうけれど、その国にもこんなことわざが、きっとあるんでしょうね。

7月の選挙は、真実を述べた人が当選するように祈っていよう。
耳に優しいだけの嘘公約をする人が落選しますように。
受け狙いのアジ演説する似非政治家が立候補して、当選したりすることのないように。ani-onegai03t

 

2013年5月5日 | カテゴリー : K 始まり | 投稿者 : nyamburra

Hasira za mkizi …

Hasira za mkizi

Hasira za mkizi furaha ya mvuvi

mkizi (魚の名前)の怒りは漁師の歓び

この魚は怒ると高く飛び上がるそうで、そうすると彼の敵である漁師に捕まり、結果として敵を喜ばせることになる。

つまり、短気は損気 ということですね。

東アフリカの人は、総体的に短気なのかどうか。。。

かなりカッカしやすいというか熱くなりやすく、例えば選挙の時の暴動みたいなことにもなるんですが、長いものに巻かれると言えば良いのか、雇い主や買い物に行った先の店主などには反抗しない、きわめて従順だったりするようなところも見受けます。

これは、長い植民地時代の立場がすり込まれているからかしらと思ったりもしますが。

或いは、一人だと行動できないけれど、「赤信号みんなで渡れば怖くない」式に、多数が集まれば勢いで反抗してしまうとかいうのもあるのかしら、と思ったりもします。

まぁ、短気な私から見れば、全員穏やかと言えるかも。ani-wink01

 

2013年5月1日 | カテゴリー : H 始まり | 投稿者 : nyamburra

Aombaye magadi …

Aombaye magadi

Aombaye magadi awe na kigae chake

塩を乞うものは壺のかけらを持っておけ

なにやら判じ物じみていますが、人に塩を貰いたいのなら、それを入れるための壺のかけらでも何でも持っているべきだ。
つまり、中身も器も人に貰うようではいけないと、自助努力を促していることわざ。

でも世の中、中身も器もどころか、貰いに行く足代まで相手に頼るような輩もいますよねぇ。

スワヒリ語の諺にこういうのがあるということは、自助努力が大事という考えがあるということなんでしょうが。。。
でも、そんな言葉は辞書にはないという人が多いようにも感じます。

例えば使用人からの前借りの申し出。
毎月決まった額が、多いにしろ少ないにしろ入ってくるんだから、計画的に使えば良いものを、月末になると借りに来る。
離れた場所の畑に置いていた20代の男性は、文字通り足代まで借りてうちまで来ていました。

畑には、ベッドルームが二つある小さな家があって、むろん家賃はナシ。
作った作物は自由にとって食べていいし、私が尋ねていくときにはお肉やお魚を差し入れするときもあるのです。
むろん水道代は我が家の負担。

そんな好条件でも前借りしに来るんです。
そして帰りがけに、前借りした賃金とは別に足代を貸してくれって。。。
でも、その足代は、戻ってくることはぜったいにない。

親に仕送りもしているのだろうと大目に見て貸していたら、ある日突然いなくなって、the END。

こういう人も、いつか所帯を持って子どもを育ててということになるのでしょうが、その時までにきちんと矯正できるのかしら??

 

2013年4月27日 | カテゴリー : A 始まり | 投稿者 : nyamburra

Mgeni siku mbili …

Mgeni siku mbili

Mgeni siku mbili, ya tatu mpe jembe

客扱いは二日間、三日目には鍬を与えよ

新しい環境に入っても、いつまでも「お客さん」でいてはいけない、いさせてはいけない。
慣れること、つまり「すること」の大事さを説いているとか。

この感覚は、親戚の子どもを預かったりしたときや、田舎からのお客を泊めたときなどに強く感じます。

みんな、最初の日からでも、何かできそうなことを手伝おうとしてくれます。
時にはこちらが戸惑うほど。ani-waaai04

だから、腰が軽くよく動く人が喜ばれると言うより、それが普通で、お尻が重い人は徹底しして嫌がられる感じです。

私はよく気がつく方ではないのですが、でも「外国人だから」という理由でかなり大目に見てもらっていました。

 

2013年4月23日 | カテゴリー : M 始まり | 投稿者 : nyamburra

Kamba ya mbali …

Kamba ya mbali

Kamba ya mbali haifungi kuni

遠くの縄で薪は縛れない

二階から目薬 と言うことですね。

でも、スワヒリ語の諺の方が実感が湧きます。

だって、二階から目薬なんて、そんなやつ、おらんやろー

 

2013年4月19日 | カテゴリー : K 始まり | 投稿者 : nyamburra

Hapana masika …

hapana masika

Hapana masika yasiyo na mbu

蚊のいない雨期はない

どんな時期・時節にも、それなりの苦労・問題はついてくるものだ、蚊のいない雨期がないように。

なんにでも苦労はあるとは、頭では分かっていても、なかなかねぇ。。。
ついつい、自分一人が苦労している、辛い目に遭っていると、思ってしまうんですよねぇ。

周りを見たら、苦労のない人間なんていないのにね。

 

2013年4月15日 | カテゴリー : H 始まり | 投稿者 : nyamburra